標本箱

その時おもったこと、かんじたことを少しでも形に残せたら。

感想を伝えるということ。



大昔にあげたプレを推しが使ってくれていることがわかって浮かれてるオタクです。
推しオタクを喜ばせる天才すぎるし、最近甘々じゃないですか?
病んだりもしますけど基本的にお花畑なオタクなので、推しからの私信カウンターを軽率に回してしまう。









先日のブログ、色々な方に読んでいただけたようで有難い限りです。



急に増えたオタクの話 - 標本箱



私のコミュニケーションってとても一方的で。
基本的に他人に伝えようとか、共感して欲しいとか、そういう意図で行動することってあまりないですし、これまでのブログ含め思ったことをつらつらと書き連ねただけでした。


でもスターとか、マシュマロとか、ブログで引用して下さったりとか。
そういうのを見ると読んでる方がいらっしゃるんだなぁってリアルに感じますし、書いてきたことって皆さん大なり小なり感じてる事なんだなぁって思います。
楽しいことも、悲しいことも、自分が思ったままに書いてるだけなのに、それに対して共感してもらえたりするって本当に有難いことです。*1*2


引用スターは私も好んで使う機能ですが、つけてくださった方の人となりが垣間見えて面白いですね。
どうせ推しに伝えるなら「好き」ってだけじゃなく、「どこが好きか」まで伝えようって改めて思いました。




以前、自分が推しのファンであることの意味*3がわからなくなった時があって。
「ファン」という茫漠とした塊にしかなれないのなら、私が私である意味ってなんだろうってグルグル考えてました*4


その時に推しからの言葉が欲しくて欲しくて。
私がファンであることに意味を与えて欲しいって強く思ったんですね。
それって例えば「お手紙のこういう所が嬉しかったよ」とか、「読んでいてこう感じたよ」とか。
自分の応援で推しにどういう影響を与えたのか、与えられたのかを知りたいってことで。
私がそれを行ったのかということよりも、私が考えて行ったことが推しの心を少しでも動かせたかどうかが知りたくて。


なんかそこまで考えた時に推しも同じなのかもしれないって思ったんです。


正直不安定で半年後どうなっているのか分からない役者という職業で。
辛いことも大変なことも沢山あって。
正解がないお芝居を延々と稽古して、それが受け入れられるかは幕が上がってからじゃないと分からない。
もちろん演じる魅力ってあるんでしょうけど、役者という職業はそれ以上に大変なんだろうなって思っています。


沢山の不安の中、自分がやってきたことを肯定してくれる物が感想でお手紙で。
おこがましいかもしれないけれど、私が推しに与えられた影響を知りたいのなら、推しも同じなのかもしれない。
貰ったお手紙で救われることがあるのかもしれない。·····なんて。




私がファンという集団ではなく個として接することが出来るとしたら、それはお手紙の中だけで。
色々な気持ちを込めて贈っているものだから、少しでも推しの力になればいいなって。
そんなことを願いながら今日も文字を綴っています。












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*1:どの記事にアクセスしてるのかとかも見たいのですが、課金したりしないと難しいのかな

*2:この記事がなぜ今頃?とかあったりするので

*3:

*4:考えても意味の無いことを考えてしまう状態を病みといいます