標本箱

その時おもったこと、かんじたことを少しでも形に残せたら。

誰かの悲しみとサプライズ


ちょっとお気持ち表明ブログ書きますが、初めに特定の個人やその方の意見を貶す意図はありません。
不快な思いをさせてしまったら私の書き方の問題です。申し訳ありません。

ただのひとりの役者オタクが、今回の件と関連する様々な意見を見聞きし、もしも自分の推しだったらという妄想の元、自分の気持ちを整理するだけの内容です。
部外者の勝手な意見なので、そういった意味でも不快な思いをさせてしまったら申し訳ないです。











某作品でサプライズ登場のキャラが居て、ネタバレ厳禁のルールもあり役者名は伏せられたまま公演を終えたそうですね。



割と初めの方でそういった演出があるというのは知ったのですが、推しじゃない*1って分かっていなかったら死ぬほど怖くて不安でたまらなかったと思います。
さらに終盤でのキャラ変更に伴う第二の出演キャスト追加。
これを知った時はオタクの方々の気持ちを考えるとやるせない気持ちでいっぱいでした。*2
役者オタクの一人として今回の件は許せないし、許してはいけないと思います。
私自身がそういう目に会いたくないので。




そうは言うものの、演出としてはアリだと思いました。
舞台を観に行って全く告知されていない役が出てきたらびっくりするし、その衝撃って中々味わえるものでは無いと思います。
表現は常に挑戦し続けるべきですし、その成功と失敗がより良い作品の糧となります。







でも誰かを悲しませる表現は避けるべきだとも思うんです。
特に今回のような祝福されるべき場で、一番祝福したかったであろう人達が悲しい思いをするようなやり方は。


大きな作品です。
出演するってとても名誉な事だと思うんです。
なのに役者さんが、今までを応援してきてくれたファンを失いかねないことをさせてはいけないと思うんです。







今回の件で文句を言うのは役者オタクであって、舞台を役者を観るための道具としてしか捉えてないといった雰囲気の*3意見を見ました。


それの何がいけないんでしょう。


私は役者オタクで、役者さんの演技を観に舞台へ行きます。
いわゆる「推し」がいればどこでも行きます。
全て全通できるほど強いオタクでは無いですが、多ステもするしアフタートークのゲストとか、正直推し目当てでは金銭と労力に見合ってない内容でも行きます。


反対に推しがいない作品にはほとんど行きません。
推しを通じて沢山の魅力的な役者さんや作品を知りましたし、知り合ったお友達から沢山の楽しそうな現場の話を聞きます。
行ってみたいなーって作品もありますが、自分から行くのは年に1本あるかどうか。
私は典型的な役者オタクで、舞台オタクではない人間だなってよく思います。





役者オタクの私から見た舞台とはどういった存在か。
それは料理で言うと皿であり、まさしく舞台装置であり、役者さん自身をより魅力的に見せてくれるための服のような存在です。




私は役者さんの仕事ぶりを信頼しているから舞台に通います。
初々しくも真っ直ぐに役と向き合う真面目さに惹かれ、観る度に違った姿を見せてくれる成長力に目が離せなくなり、作品を通して新しい世界と感情を教えてくれる「その人」を信頼してチケットを買います。



観劇って本当に博打だと思うんです。
1万近くするチケット、それも2時間程度で終わってしまうコスパの悪いチケット*4
それを数ヶ月前から予定空けて抽選申し込んで、でも面白いかどうかは見てみるまで分からない。
どんだけ有名な演出家さんや脚本家さんが関わっていても、実力のある役者さんが出演していても、人気作品が原作でも、皆が面白いって言っていても。
自分が見てみないと肌に合うかどうかって分からないものです。

信頼していると書きましたが、推しがいたってつまらない作品はもちろんあります。
ただどんなに肌に合わなくて、面白くない作品でも、推しの演技に関しては絶対に楽しめる・得るものがある、そう思えるから私はチケットを買いますし、実際にそうだった、の積み重ねが推しへの信頼として今あります。
だからどんな作品でも推しがいれば見に行きます。



私は作品を通して推しのことを知ります。
どう役と向き合うのか、どんな風に考えたのか、感じたことをどう表現するのか.......。
与えられた世界と役の中で推しがどう生きるのか、それを楽しみに舞台を見ます。
この見方は間違っているのでしょうか。


舞台という世界を楽しむのか、そこに生きる役や役者自身を楽しむのか*5
舞台の楽しみ方ってそれだけじゃなくて、照明・音・美術・衣装・メイク、あげだしたらきりがありません。
多くの制作スタッフの方々が一丸となって作り上げた世界で、そこで精一杯生きる推しの姿が見たくてチケットを買うんです。
そして役者オタクが役者さんを見に行くように、上記の様々な観点のオタクの方が同じようにチケットを買うんです。
チケットを買って舞台を壊さないよう楽しんで、観客は等しく平等です。





だからこそ誰かが悲しむような演出は避けた方がいいんじゃないかって思います。
色んな価値観の人が同じ作品を見て、それぞれの幸せな気持ちを抱けたら素敵なのに。



私は自分の推しが知らないうちに大舞台に出ていたらびっくりするし、おめでとうより先に「なんで」って思ってしまうと思います。


推しのことを信頼していつもチケットを買って。
もっとたくさん見たいから、アンケート書いたりコメントしたり名義付きでチケット買ったり感想伝えたり、お金と時間をかけて。
大好きな推しだから見れる限り見たいし、推しの心に残る体験は同じ場にいたい。
それは究極のエゴイズムだけど、許される範囲でならばきっと愛とイコールで。



推しを第一優先で行動してきたのに、あんなに大きな作品に出るのを知らずに後から知るなんて苦痛でしかない。
もっとアンテナ張っておけばよかった、興味なくても見に行けばよかったとか、そんなたらればの後悔を繰り返してしまいそうで。



誰かが悪いわけじゃないけれど、その場に呼ばれなかったってことは役者オタクである私は要らないのかなって。
そんなことを考えてしまいそうで。
ファンであることは自己満足だけど、私自身の好きな気持ちを否定されたら悲しいです。
当たり前だけど。



誰だって大切な人の晴れの場は一緒にお祝いしたいと思います。
親が子の卒業を祝うように、恋人が誕生日を祝うように、友人の幸せを祝うように。
オタクと役者さんは一方的な関係で、向こうが私たちのことをどう思ってるのか、思うことがあるのかすら分からないけれど、でも私にとっての推しは誰よりも大切な人です。
プライベートならともかく、公式のお仕事の場なのに推しがいることすら知らずに除け者にされたら悲しい。
幸せの象徴である推しに対して悲しい気持ちが結びついてしまう。




事実として役者とファンは切っても切り離せない関係で。
ファンは役者さんがいないと応援できないし、役者さんもファンがいないと続けられない。
そういう関係にあるにもかかわらず、ファンを蔑ろにするような仕事のさせ方は好きじゃありません*6





色々書きましたが、これは全部役者オタク以外も関係があると思っています。
今回キャラクターのファンの方だって同じ思いをした人が絶対にいると思うし、立場が変わればそれは作品ファンだったかもしれない。

原作ありとかなしとか関係なく、役者さん以外にも本当にたくさんの人と作品が力を合わせて舞台はできています。
そしてそれぞれにファンの人がいます。
その誰かが蔑ろにされたような気持ちになったり、悲しんだりする方向性は違うんじゃないかなって。
そんなことを思ったのでした。












.

*1:絶対に公演に出れない期間だった

*2:1人目の方を観に行ったオタクも、追加でサプライズ出演された方のオタクもどちらの気持ちを考えても.......

*3:意訳です

*4:夢の国は同じ値段で1日遊べるので凄い

*5:ストーリー優位とキャラクター優位

*6:重ねてですが誰が悪いって話でもないと思っています

遠征反省事項



真っ直ぐに届く日差しと裏腹な肺の冷たさを呼吸と共に感じて、最近忙しくてそんな季節の移り変わりにも気づけていなかったななんて。
心の余裕って大切です。
遠征時の荷物多すぎて減らしたいのと、ずっと遠征の振り返りをしたかったので合わせてやります。






【前提】
私·····最近遠征をするようになったオタク(関東民)。
基本移動は新幹線。夜行バスも何回か使用。
年に数回遠征する機会があるかないか。
ギリギリ行動オタク。





遠征不慣れな人間の反省会です。
大昔の下書きを拾いつつの振り返りなのでざっくりですが。






はよ宿取れ(結論)。
はよ宿取れ(2回目)。



自戒です。
色々手配するのが面倒くさくてだいたいギリギリなんですけど、宿は本当に早く取りましょうね……。
理想は最寄り駅と劇場の中間地点。
劇場寄りだとなおよし。


やっぱりマチソワ間に宿戻れるかどうかって凄く大きいですよお金浮くし。
私はギリギリなので宿取れなくてタクシーで30分くらい、電車なら乗り換えありの同じくらいの見当違いのところに宿とったり。
そもそも近くに宿なくて乗換駅のウィークリーマンションみたいな所借りたり。


いくら安くても交通費発生したり、滞在時間短かったら意味ないんですよね(あたりまえ体操)。
宿取るって寝る場所確保は当然なんですけど、それ以外のメリットは

・荷物預けられる
・休憩所になる

だと思ってるので、チェックイン・チェックアウトの時間めちゃくちゃ大切·····。
15時チェックイン翌10時チェックアウトとして、土日マチソワした場合ですが、

マチネ→チェックイン(荷物預ける)→ソワレ→宿戻る→チェックアウト→マチソワ

とかいうパターンになるので結局荷物預かってもらえるの1日目ソワレだけなんですよね。
お願いすれば早めに預かってもらえたりもできるとか聞いたことあるので、今後はそういった観点で宿探ししたい*1
もう家から劇場までガラガラするのも疲れるし、ホテルから出てきたのにまた劇場までガラガラするのもうんざりしてしまう。
遠征だと普段より歩き回るし荷物重いから楽な格好したいけど、舞台観るならヒールがいいしなぁとか。
チェックアウトしたらむしろ駅のコインロッカーに預けちゃった方が楽だけど、みなさん考えることは一緒なので早めの行動大事……*2
あと劇場から宿近くても駅から遠くて、ご飯屋さんが全然無いからソワレ後に遠出する羽目になったり。
諸々踏まえると劇場近めの駅との中間地点がベストだなと。
乾燥は当然するので、良いパックとか持っていくと楽しいかなーとか思ったり。




選べるのならば新幹線パック。
安いし楽だし……ギリギリだと無いけど……。
でも帰りは新幹線がいいけど行きは高速バスでいいんだよなーって時はどうすればいいんでしょうね。
お土産付きパックというのも以前使いました。
お昼分くらい浮く!って喜んでたけど、ソワレ後に駅弁なんて残っていなかったので使うなら行きです。マチネ前です。
これは反省点。



キャリーケース。
これ本当に本当に大切です。
1泊2日だし!って何も考えずにボストンに突っ込んだらめちゃくちゃ重くて辛くて。
梅田とか割と歩くし、あんまりしんどいから家帰って量ったら7キロありました(なぜ)。
それ以来反省してキャリーケースです。
ただ安物の2輪使ってるので、静かな4輪が欲しい。
ストッパー付きがいいよって遠征民に教えてもらいました。
現在探し中。





荷物は減らしたい。
でもサンダルとかラフな服はあった方がいいなーって感じました。
観劇まで時間がある時にフラフラするとか、ご飯食べに行く時とかに観劇用の格好はなんというか肩が凝る!笑
足も痛くなるので、クロックスみたいなものを入れたり、軽く散歩できる程度のラフな服を入れるようにしてます*3
ちょっとコンビニ行く時とかに便利。


あとエコバック。
たまたまグッズで近いものがあったので助かりましたが、荷物を減らしたい一心でキャリー&ミニポーチという状態で観劇したら、物の見事にパンフのやり場に困りました。
他にも上着とかレターセットとか双眼鏡*4とかを入れるのに重宝したので、エコバック的なものはあるといいですね。
キャリーを心置き無くロッカーに預けられる。



身軽でいたい人間なので、足りなかったら現地調達でいいや!って動いたらまあ困ること困ること……。

どこでも買えるものなら地元で買いましょう。

ドラッグストアとか、コンビニとかドンキ行けば買えるって分かっていても、土地勘のない場所で地図見ながら歩くの大変ですよ。
結構歩いたりしますしね。
そんな私の現地調達履歴。
ほとんど忘れた!とか要らないかなって気持ちで置いてきたものでした……。

→クレンジングオイル
→くし
→ヘアゴ
→髪留め
→パウダー
→コンタクト洗浄液
→頭痛薬
→サニタリーグッズ
→折り畳み傘

他にも現地が思ったより暑かったか寒かったかして慌てて服買ったり。
上に書いたものは反省してキャリーに常に入れてます。
前日に用意できるものはいいけど、化粧道具とかアイロンとか出発前に使うものってどうしても忘れそうになる……いいアイディアあったりしますかね。
予備買うとかかな。

あとあると便利なのは大きな鏡。
家とはやはりメイクの勝手が違うなーとは思うので。
駅とか専用のスペースあるのならそこを利用するのが一番楽ですけどね。




ダラダラ書きましたが、旅行慣れしてなさが凄く……出ていますね……。
推しがたくさん遠征させてくれて、私ももっとスマートに遠征できるようになれたらいいなぁ。



最後に一言。
遠征してマチソワ2日間とか、死ぬほど疲れるから行かない日も作って上手くやろうね·····。








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*1:願望

*2:メモを見たら「日曜のコインロッカーはあてにしない」とあったのでそういうことだと思います

*3:ストッキングで過ごすの疲れません?靴下で過ごしたい

*4:私が使ってるのは大きいので……

課金イベントとかの話。



事務所の課金イベントが多くて降りる方の気持ちがわかってしまった。
人参を前に無理やり走らされてって金額とか結果とか関係なく疲労しますねコレ。


推しに貢げるなら貢ぎたいし、名前を呼んでくれるなら呼んで欲しいし、チェキとかサインとかは当然欲しい。
でもそれは同担のいない所でやりたい。
私は私の気持ちをお金に変えてるだけであって、同担と争いたい訳じゃないんだよなって思いました。




チェキもサインも、数万の価値がないことなんて知ってるんですよ。
でもそれに値段がついているのであれば、言い値で、時には値段以上で、それだけの価値があることを示したいんです。
それがオタクの愛だから。
その愛に運営という第三者が優劣をつけて欲しくない。



自分の出せる範囲の予算を決めて、それで楽しめるオタクが1番強いし幸せ。
私は、推しと私というクローズドな関係で推して行きたいのに、ランキングという形で同担の存在に向き合わさせられるのが嫌だなーって。*1
結局自分にも同担にも負けたのでそこがいちばん悔しい。





ランキングとかコメントとかが気になって肝心の推しに集中できたのって、ランキング締め切ってコメント欄閉じた後だし。
なんだか本末転倒。
終わったら爪がボロボロになっていて、気持ち的にはそこまでしんどくなかったけど向いてないなーって思いました。



推しは別に課金望むタイプじゃないし、推しから大事にしてもらってる自覚あるのに無理する意味とは。
私はなんのために頑張ってるんだろう。
そんなことをふわふわ考えていましたが、きっと推しに何かを求めている訳じゃなくて。
推しが大事にしてくれるからこそ、それに応えたいと思ってしまうのかなって。
存在してるだけで幸せをくれる推しが、私のことをとても大切にしてくれるから。
なにもお返しできない私はもっと頑張らなきゃって思ってしまう。
推しがそういうの喜ぶタイプじゃないって分かっているのに。


課金しないと課金してるオタクと比べて役立たずでどうしようもない存在に感じるし、課金して報酬受け取ると推しを消費してるような気持ちになる。
名前を呼んでもらっても、その喜びよりも金を払ってやらせている申し訳なさが先に来てしまう。
かといって課金の機会があるのに何もしないのは、無銭で推しを見てるだけの対価を払っていない、タダで推しを消費してる人になってるような気持ちになる。
どちらにせよ推しを大事にしてないようで自分が嫌になってしまう。
でも推しは私が金を使っても使わなくても気にしないのだから、自分が納得できるようにすればいいだけって頭では分かっているのに。



推しがとても優しくて真面目な人だからこそ、私も推しに恥ずかしくない推し方をしたい。
丁寧に、丁寧にあなたを応援したい。











.

*1:下手したら顔も大体の住所とか本名もリプ垢も取引垢も知ってる相手だし、知られてるかもしれない人達なわけで

感想を伝えるということ。



大昔にあげたプレを推しが使ってくれていることがわかって浮かれてるオタクです。
推しオタクを喜ばせる天才すぎるし、最近甘々じゃないですか?
病んだりもしますけど基本的にお花畑なオタクなので、推しからの私信カウンターを軽率に回してしまう。









先日のブログ、色々な方に読んでいただけたようで有難い限りです。



急に増えたオタクの話 - 標本箱



私のコミュニケーションってとても一方的で。
基本的に他人に伝えようとか、共感して欲しいとか、そういう意図で行動することってあまりないですし、これまでのブログ含め思ったことをつらつらと書き連ねただけでした。


でもスターとか、マシュマロとか、ブログで引用して下さったりとか。
そういうのを見ると読んでる方がいらっしゃるんだなぁってリアルに感じますし、書いてきたことって皆さん大なり小なり感じてる事なんだなぁって思います。
楽しいことも、悲しいことも、自分が思ったままに書いてるだけなのに、それに対して共感してもらえたりするって本当に有難いことです。*1*2


引用スターは私も好んで使う機能ですが、つけてくださった方の人となりが垣間見えて面白いですね。
どうせ推しに伝えるなら「好き」ってだけじゃなく、「どこが好きか」まで伝えようって改めて思いました。




以前、自分が推しのファンであることの意味*3がわからなくなった時があって。
「ファン」という茫漠とした塊にしかなれないのなら、私が私である意味ってなんだろうってグルグル考えてました*4


その時に推しからの言葉が欲しくて欲しくて。
私がファンであることに意味を与えて欲しいって強く思ったんですね。
それって例えば「お手紙のこういう所が嬉しかったよ」とか、「読んでいてこう感じたよ」とか。
自分の応援で推しにどういう影響を与えたのか、与えられたのかを知りたいってことで。
私がそれを行ったのかということよりも、私が考えて行ったことが推しの心を少しでも動かせたかどうかが知りたくて。


なんかそこまで考えた時に推しも同じなのかもしれないって思ったんです。


正直不安定で半年後どうなっているのか分からない役者という職業で。
辛いことも大変なことも沢山あって。
正解がないお芝居を延々と稽古して、それが受け入れられるかは幕が上がってからじゃないと分からない。
もちろん演じる魅力ってあるんでしょうけど、役者という職業はそれ以上に大変なんだろうなって思っています。


沢山の不安の中、自分がやってきたことを肯定してくれる物が感想でお手紙で。
おこがましいかもしれないけれど、私が推しに与えられた影響を知りたいのなら、推しも同じなのかもしれない。
貰ったお手紙で救われることがあるのかもしれない。·····なんて。




私がファンという集団ではなく個として接することが出来るとしたら、それはお手紙の中だけで。
色々な気持ちを込めて贈っているものだから、少しでも推しの力になればいいなって。
そんなことを願いながら今日も文字を綴っています。












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*1:どの記事にアクセスしてるのかとかも見たいのですが、課金したりしないと難しいのかな

*2:この記事がなぜ今頃?とかあったりするので

*3:

*4:考えても意味の無いことを考えてしまう状態を病みといいます

急に増えたオタクの話




個人イベントが即完でオリジナル舞台が席ガラガラって何?
推しは役者さんなんだけど、演じてる姿よりも素の姿の方が好きって分からせるのは惨たらしくない?*1







まあオリジナル舞台どころか多少キャパあったらイベントでもチケット余ってる現状なんですけどね。
なんだかな·····。
まあ推し方の違いなんでしょうね。


私も好きだし応援したい気持ちはあるけど推してない役者さんは複数いますし、その人の現場どのくらい行けるの?ってなったら優先順位はつけざるを得ないし·····。*2
優先順位をつけようって思ったら、自分が好きになったきっかけの作品とそれ関係のイベント、あとは個人を知ることが出来る接触系のイベント、それ以外は余裕があったら·····になるのは充分想像出来ます。



なんか有名2.5作品に出た後、接触しか来ない自称「ファン」が増えるのってこういう所から来るのかな。
「ファン」や「推し」などの言葉を界隈に来たて故にカジュアルに使いたがる人達と、
プライド*3を持って「ファン」を名乗り「推し」と呼ぶ人達。
私は現場に行けない人が「ファン」を自称するのはこの上なく残酷だと思っているので*4余計なことはしないようにしてしまいますが、カジュアルに応援してる人に悪気がないのも理解は出来ます。
好きにはなれないけど。




というか有名2.5がきっかけでファンが増えるというあるあるについて、めちゃくちゃ思うことがあって。

誰しも自分が推しと出会えた作品が特別なのは分かるし、残念なことに私もその1人。
そしてそれまで中々芽が出なかった推しのような人が売れるきっかけになって、沢山のファンと出会えた作品を大事に思うのも分かります。


でも、でもですよ!?
推しや新規ファンにとって特別な作品でも、こちらからしたら今まで推しが出演してきた作品の一つに過ぎないわけで。
こっちがファン増えて病んでる時に座組に対する愛とか、作品への思い入ればかり話されたら推しにだってイライラしてしまったり(完全なる八つ当たりです)*5


現場に行けば知らんオタクが騒いでるし、その作品の推しの感想ばかり聞こえてきて。
いや公演終わって今から別作品観るんですけど?って思ってしまったり。


今までガラガラだった接触はチケット取れないし、死ぬ気でたどり着けば馴れ馴れしいオタクが関係ない話を延々と推しに振るし*6
推しは推しで新しいファンが嬉しくて、大好きな作品を共有してるのが嬉しくてはしゃいでるし(完全なる八つ当たり2)。





このモヤモヤはなんなんでしょう。



私にとっては通過点に過ぎない作品を、推しが他の同担とよいしょよいしょすることへの不満?
推しと気持ちを共有できない寂しさ?
色んな理由は思いつくけれど。



一番は悲しみなのかなって。



推しは沢山の作品に出てきて。
沢山の素敵な役を演じてきて。
そのどれもが好きだったし、推しは素晴らしい役者だってずっと思ってきました。


でも推しには中々ファンがつかなくて、お仕事が少ない時期もあって。
そのことに対してずっとなんでだろうって思っていて。
「推しは地味にきちんとやるタイプだから注目されづらいんだよ」とか「真面目だからファンも静かなタイプが多いんだよ」とか「ファン少なくても推し始めると長い人ばかりだし」とか。
そんな沢山の理由を見つけては自分に言い聞かせて。




なんか。なんか、そうやって自分を慰めてきたのに。
確かに人気作だし人気キャラだけど、でも推しはずっと素敵でした。
ハマり役だったけど、それだけじゃない。
推しがずっと頑張ってきたから、努力してきたからあの役は完成したのであって。
一回目は大して注目しなかったくせに。
推しがそこそこ知名度ある作品出てても見向きもしなかったくせに。
ちょっと出番が増えたら皆手のひらを返したように推しにキャーキャーして。
私のあの時間はなんだったんだろう。
露出度って言ったらそうだけど、推しの血のにじむような努力が、なんてことない「ラッキー」で上書きされてしまったようで。



努力が報われる保証はないし、むしろ報われた推しは幸せなんだと思います。
運命の女神様を味方につけた推しの勝ちだし、なんだってきっと最後は運。
そして巡ってきた運で輝けたのは今までの推しの努力があったからで。



でも、それでも私は日の当たらない場所で懸命に役と向き合ってきた推しを知っているから。
お仕事がなくても、カンパニーがめちゃくちゃでも、弱音も文句も言わずに素敵な時間を与えてくれようとしてきた推しを知っているから。


気まぐれに巡ってきた運ばかり大事にしているように見えるのが悲しいのかもしれない。
これまでの推しをなかった事にしているかのように見えてしまって。



推しが今までを大事にしてくれていることも、それが昔からのファンを含めてであることも分かっているのに、前だけを見つめる推しが眩しくて遠くて少し、寂しい*7














.

*1:諸々の私怨含みます

*2:そもそも推しの比重が重いので茶の間以前の状態

*3:肥大化した自意識とも言う

*4:応援できないのに存在をアピールすること、相手をぬか喜びさせるだけでは?

*5:公演後に珍しくセンチメンタルポエマーになった推しは今見ても·····

*6:接触終わったあと、遠巻きで推しを眺めながら溜まるオタク集団ってなんなんですか?早く帰れって思う

*7:結局のところ、皆「推し」が好きなんじゃなく、演技が上手い役者を好きになったんじゃないかというモヤモヤな気がします

ファンと推しの関係性


お酒を飲んで笑って話して。
そんな帰り道は推しに対する言葉を綴りたいし、同じくらい何も考えずに寝てしまいたくなる。
紛れもなく酔っ払いです。






私は推しにどうなって欲しいのだろう。
先日ふとそんなことを考えた。



前までは全然想像つかなかったのに、何となく目に入ったバラエティ番組でソファで笑いながらトークをする推しの姿が目に浮かんで。
テレビ出演なんて役者としては花道なのかもしれないけれど、私はその時が来たら喜べるのかな、なんて。



役者にとってテレビ進出で多くの人の目に触れるようになることは間違いなく成功なのに、今の定期的に会って軽くお話出来て。
何よりもファンとして応援できるこの距離感が無くなってしまうのは嫌だ。


そんな私は本当に推しのことを応援できているのだろうか。
推しに幸せになってもらいたいけど、1番に自分が楽しく応援できるかどうかを考えてしまう自分が嫌だ。
結局綺麗事は口だけで、私だけの推しでいて欲しいだなんて。
私だけの推しだった瞬間なんてどこにもないのにね。






数ヶ月前の下書きを読み返していたらこんなことを書いていました。

推しとファンの関係。
行きつけの店と常連客とかお気に入りの客くらいになりたい。
ふつうに「あそこ美味しいんだよねー」って気が向いたら立ち寄って。
お店からはたまに見るなーくらいの特に特別扱いもなく
ご飯食べたら今日も美味しかったなーって幸せに帰って。
友達とかに聞かれたらオススメするようなライトな関係。

すっかりそんなことを書いていたことも忘れていて。
ちょうど最近同じようなことを書かれていた方がいらっしゃったのでリンク張っておきます。
文脈も視点も私とは違うのかな*1とは思いますが。


店員と客で例える、推しとファンの関係性 〜オタクの同調圧力と謎の思考〜 - 晴れた日のねどこ






こんなことを書いていたのはちょうど推しに対して病んでいた時(笑)だったような。
推しがどうのこうのというよりも、ファンとして「店(推し)」からどう思われているかを気にせずにただ自分の好きな物の1つとして接していきたい·····。
そんなことを考えていたのだと思います。
あの頃から色々あって幸か不幸かお店からはガッツリサービスを受けるようになり*2、こういった関係性にはなれなくなりましたが·····。




最近とても推し始めの頃に戻りたいと思います。
今だってとっても楽しいし、推しはどんどんいい役者になるけどあの頃にもう一度戻ってみたい。
こちらを向くだけでドキドキして、ただひたすらに圧倒されて。


良くも悪くも推しと私はお互いを「個人」として認識し合っている状態にいて。
私はやっぱり推しからどう思われるかとかそんなことを気にするようになってしまったのがもったいないなって思う。
あの頃の観てるだけで満足っていう自分に戻りたい。





さっきの好きなお店とそこのお客っていう関係性は私としてはあくまで理想で。*3
実際、今私が感じているのは役者とファンは「推し」という存在を作り上げる共同体なのではないかということ。


1人の人が表現者として前に立った時、そこには偶像が生まれるのではないでしょうか。
事務所やスタッフさんはその偶像がより偶像らしくなるようプロデュースして、その人はその偶像らしさを体現していく肉の器で。
でもそれって崇める人がいないと成立しないんですよ。
私たちファンがその偶像を崇めて讃えて、やっとソレは完成する。
表現者がいないと何も始まらないけど、きっとファンがいないと完成はしないんだろうなって。
なんかそんなことを考えていて。



「ファンとしての自覚を持つ」なんて言ったりするけど、それって悪い意味だよねって自分を見ていて思います。
もちろん推しさんに迷惑をかけるようなことをしてはいけないけど、それって別にファンだからというよりは人としてって話だし。
だいたいファンがファンとしての在り方にどうこういうのは面倒臭いオタクだと宣言して回る行為*4*5




たくさんのファンと接してる推しを見て寂しくなってしまった時、なんでだろうって考えて。
私は推しにとってたくさんいるファンの1人になりたくないんだなぁとか。
個人として推しに向き合って欲しいんだなぁとか。
何よりも、ファンというよりは「推し」という偶像をプロデュースするステークホルダーとして関わりたいんだなぁとか。



なんかそんなことを考えてしまって。



自分で自分が嫌になったりする最近です。




推しに甘やかされてすっかりワガママになってしまいました。

ただ推しのことが好きで。
気が向いた時に顔を出して。
友達におすすめ聞かれたら紹介するような。
お店からは定期的にくる人、くらいの軽い認知の。
なんだかそんな関係に戻りたい。











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*1:私の場合はファン視点になるので

*2:推し、私のこと好きすぎではないかと思ってしまう最近

*3:片想いが1番楽しいよねーっていう雰囲気に近い

*4:特大ブーメラン

*5:瀕死

推し事スタンスというか






そういえばまとめてなかったなーと思ったので。
思いつく範囲でテキトウに書いていきます。





◆推しについて

よくいる.5俳優でいわゆる「若手俳優」。
当然ルックスが非常に良い。
からしたらかっこいいなーって思うけど、周りから「可愛い顔だね」ってよく言われる。
若手俳優なのでトークとアドリブが下手*1
このまま真面目な推しでいて欲しい。




◆推しとの出会い

ふらっと行った舞台で出会った推し。
その舞台へ行ったのも、その後推しになったのも偶然の塊ではあったけどあまりに偶然とイレギュラーが重なりすぎて運命ではなくても奇跡だなって思っています(重い)。


推したきっかけはよくある最推しキャラを演じてたからっていうもの。
売り出し中で舞台ごとの間があまりあかなかったことや、尽く推しキャラを演じるのでトントン拍子にオタクになった。




◆推し方

基本は作品ごと必ず1回は観る。
ブロマイド、パンフ、DVDなど写っているのもは必ず買う。
でも缶バッチとランブロのレアはその限りではない。
お手紙も行く日は必ず書く。
マチソワとか公演ごともできるだけ書く。



推し始めた頃に生活とのバランスを考えて1作品行かなかったことがあって。
そしたらその次に演技見たら信じられないくらい成長していたんですよね。
駆け出しだったこともあってタケノコのようにグングン成長していく推しから目を離しちゃいけないんだなーってその時感じました。
でも無理して推したくないから1回を最低値にしてます。
最近は全通に近いこともやったりしますが、基本は1回。



◆推す時のモットー


推すことを嫌になるような推し方はしない



私にとって推しは幸せの象徴なので、推しと嫌な気持ちを極力結びつけたくないって昔から考えています。
だから守れなそうなルールは作らない。
らぶりつ絶対!とかリプ1番!とか。
決め事はあるけど最低限の基準はゆるーくしてます。





こんなところですかね?
他にも沢山あるだろうけどとりあえず。


推しのおかげで沢山の舞台を観ることになって、その度に素敵な役者さんを知りました。
推しより演技やトーク、ダンスに歌、様々な部分で優れている役者さんが沢山いて。
「あーかっこいいな」って思うことも多いけど、こっちの方向いてくれた時とかちょっとした演技を観た時の心を鷲掴みにされるような吸引力、苦しくなるくらいの高揚感は推しだけなんですよね。


あの時推しと出会えたことも、この人が私の推しとなったことも。
全部もう二度と起こらない奇跡みたいな確率だから。
ずっと大切にしていきたいなって思います。



(他にもファンとはとか、茶の間とか色んなことを考える最近。
この記事をダラダラ書いてたら垂れ流しにしていたYouTubeでこのPVと出会ってたまらなくなってしまいました。



伊藤万理華 『はじまりか、』 - YouTube



ただのちっぽけなオタクに過ぎないから。
こうやってファンを大切にしてくれる人をみんな好きになってしまう。

)








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*1:偏見です

お焚き上げその2


※モチベがなかった時の話
※ハッピーオタク期間のうちにお焚き上げします



━━━━━━━━━━━━━━━




朝起きてびっくりした。
モチベ、無い。





まあよく聞く言葉ではある。
客席で「モチベないモチベない」と連呼する同担に対して(だったら来るな)と思ったことも少なくはない。

でも朝起きたらモチベが無かった。
どこへ行ってしまったの?



推しを観に行くことは楽しいイベントで。
ワクワクするし、眠くてもちゃんと化粧したいし、楽しみなそういうモノ。
だったのに起きた瞬間の倦怠感が凄かった。


学生時代の学校行きたくないなーみたいな。
大学だったらこのままサボろって思う時のような。
特段理由もないし、予定としては組み込まれているけど今日はもうなんかいいかなって感覚。


終わってんな。



推し事に対してこんなことを思い始めたら終わりだし、義務感で推すことほど私的に意味の無いものは無い。
なんで私推してるんだろう。




最近頭の中に「降りる」という単語がチラつくようになった。
まだそのつもりは無いけど、選択肢として浮上するようになった。


私は弱いオタクで、自分がモチベとか降りるとかそういうことを言い始めるには早すぎるんじゃないかなって思っている。
私程度でそんなことを思うのは自分でも雑魚だなぁって思うし、こういう気持ちを抱えながら頑張っている強いオタクの方々は本当に凄い。




なんで推し始めたのか分からなくなって。
もう私が好きになった推しはどこにもいないんじゃないかって思って。
そんな不安から推しと出会えた作品のDVDを見返した。


当然だけど、今よりダンスも歌も演技も下手で。
姿勢悪いなぁとか思ったりして。
周りにはもっと魅力的でレベルの高い役者さんが沢山いて。


でもやっぱり推しが一番キラキラして見えた。


一生懸命板の上に立つ推しは今見てもキラキラしていたし、私は目を奪われたんだなぁって。



あの頃の不器用で何も知らなくて精一杯仕事をするしか無かった推しはもういない。
私に「ありがとう」って伝えてくれた推しもいないかもしれない。


推しは変わってしまって、私は変われなかったって考えていたけど、きっと私も変わってしまった。
多分推しも私もどんどん変わっていくし、いつかその差を私が埋められなくなるのかもしれない。



でも地べたに座る演技をしたあと汚れを払う仕草をする推しは今も昔も変わらなくて。





モチベないから化粧も上手くいかなかったけど。
帰ってきて「今日楽しかったな」って。
そう思えるといいな。




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結局この日の公演がめちゃくちゃ良くて、なんなら公演期間中1番良くて気持ちよく帰れました。
よかったね私。








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「頑張ります」ってことば


推しとの接触の話。



私が「これからも応援してます」って言うと絶対に「頑張ります」って答えてくれる推し。
私としてはいつも通りの気持ちを伝えただけだし、(言い方悪いけど)頑張らなくても今の時点で大好きな推しにそういうこと言わせてしまうのが少し申し訳なかったりして。
本当に真面目な顔して真っ直ぐに言うから、プレッシャーかけちゃったかなとかね。


でもこの前ふと思ったのが、推しの「頑張ります」って私の応援するって気持ちに対してなんですよね。
私の推しへの期待を裏切らないために、もっともっと成長して素敵な役者になりますって。



目の前の稽古を頑張るとか、レッスン受けるとかなんかそういうことじゃなくて、もっと大きな視点での「頑張ります」。
きっとそれは人として真っ当に生きようとするってことで、私みたいなちっぽけなファンからの陳腐な言葉*1もそうやって受け止めて、だからこそあんなに真面目にしっかりと答えてくれるんだなって。
私ができることはほんの少しだけだし、それが推しのためになってるかも不明だけど、それでも推しが「頑張る」力のひとつになれているならこんなに嬉しいことはないなって思いました。



推しが私たちの「推し」であり続けられるように頑張るのであれば、私も推し続けられるよう普段の生活も頑張りたい。
こんなことを思わせてくれる推しは本当に素敵な人で、だからやっぱり「そのままでもいいんだよ?」って思ったり。笑
推しのファンでいられて幸せで、推し自身が私にとっての誇りで、希望で、憧れで。
推しはこんなに沢山の気持ちを私に与えてることを、きっと知らないままなのかなって思うのは少し残念です。
貴方は影響力のある、本当に素晴らしい人です。
これからも応援しています。






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*1:でもこれ以外に表す言葉がない

チケ取りに関する愚痴




※愚痴です
※そこそこ前の呪詛が発掘されたのでお焚き上げ。追記したりしてなかったり。




「切実」ってなんだよ!!!!!!!!




チケ取り本当に下手でオタク向いてないなって思います。
譲渡探して発券開始日からずっとTwitter張り付いて見つけた瞬間にリプ送ったのに、切実厨に負けた時が1番悔しかったです。


あとチケ取り参戦しないで他人のおこぼれに預かろうとしてるにも関わらず席の注文つけるやつなんなの?
その日にその場所で観たいなら募集ツイートしてないで譲渡探せって思うし、受け身でただ口を開けて待ってるだけのくせに「譲︰定価」って言うのは本当に笑ってしまう。*1
その公演への思い入れなり楽しみさとかがあるのであれば、とっくにチケットくらい取れているのでは?
かましいツイートはやめて欲しいし(建前)、譲渡探してる時に邪魔(本音)。
募集理由に原作愛とかを書いてる人はシンプルにイライラする。
原作やキャラへの愛を盾にしてアリーナとかセンブロを強請るんじゃない。
その愛があるのなら一般発売までにチケットは手に入っているのでは?
なんなら一般発売残ってますけど。
舞台全体を綺麗に観たいなら円盤出るのお家で待ってなよ。


とか、とか、とか。



チケット取るのに必死でピリピリしてると思うところはあったり。
まあ私も譲渡探してる時点で同じなんですけどね!!!!


この席しか観たくないって言うのがあるなら自分で頑張るか金出すかすればいいのに*2、譲渡に声がけするのでもなくツイートぶら下げて待ってるのはなんなんだろう……って思ってしまいます。
強いオタクがいい席自引きするか交換できるように大量に発券して、結局そのおこぼれを貰ってる状態なのに何もしないで原作愛や公演への思い入れを語られてもな……って。
みんな探している時点で同じスタート地点で、そこに気持ちを入れるのは個人的に好きではないです。


書いていて思いましたが、出すものないのにアリーナとかセンブロとか1桁列を求めるのが嫌というより、そこで作品への愛を言い訳のように書く人が嫌なんだろなって。
「観れたら幸せ」レベルじゃなくて「いい席で観れたら幸せ(それ以外なら行かなくてもいいや)」っていう風に見えてしまう。


舞台ってどこから観ても楽しいし、ファンサや客降り、距離だけが魅力じゃないのになぁって悲しくなる。
もちろん劇場ほぼ全て見切れ含めてS席!みたいな設定も悪いと思うけど……。*3


推す上でストレスや負の感情をあまり抱えないようにすることは気をつけていて*4
だから席に対しても自分の中では「どこでも楽しむ」をモットーにしています。
前の方ならもちろん嬉しいし、真ん中なら作品を楽しめるなぁって思うし、見切れや最後列とかなら推しが大きな場所で頑張っているんだなぁって思うし。

この前の舞台でも推しは上手が多かったのに千秋楽で前方センブロ手に入れてしまって。
モチベ低い作品だったのもあって、(主演のオタクにここ譲るから上手通路と交換してくれないかなー)とか割と最低なこと考えてたんですけど*5結局見たらやっぱり楽しかったですもんね。*6


これは観劇と離れた個人的な話になりますが、やっぱり運は引き寄せるものだと思います。
スピリチュアルな話と言うよりは人間の認知力的な話で。
小さなことでも「嬉しい!」「幸せ!」「ラッキー!」って思える人はそうでない人に比べて日常の幸運が当然増えるわけです。
その幸運の大小はあっても、自分で自分を幸運な人にしてあげることは誰にでもできるわけで。
私の周りにもいましたが、人の幸運を妬んで「なんでそんなに運いいのー?」って言ってる子は自分の不運をよく数え上げるタイプでした。*7*8
その人の生き方なのでどちらがいい悪いはありませんが、やっぱりオタクは細く長い(できれば少しでも太めの)寿命にしたいのでストレスを抱えないって意味で席にあまりこだわりたくないなぁ。
手元に来たチケットを大事に愛したい。


そういう意味だと私の推しは近くよりも遠くを見る人なのでいい人だなぁと思います。
推しがカテコで最後列の人や上の階のお客さんを見上げている時の顔が好き。







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*1:転売目的の高価譲渡を許容している訳ではない

*2:高額転売を許容してはいない

*3:少しズレますが、観る側の我々は勝手に席に優劣つけて自分の好みの場所で楽しめばいいと思っていますが、作り手には最前センブロでも最後列見切れでも同じくらいの物を届ける気持ちでやって欲しいですよね。

*4:結局病んでるけども

*5:初日とか最初の方はセンブロで見たいけど、複数回入ったらその公演の推しポジションで見たい

*6:推しの見せ場、センブロ最高でした

*7:そして不思議なことにネガティブだった訳では無い。不運な子というアイデンティティにしがみついていたのかもしれない

*8:他にもめんどくさい部分が多くて縁を切ってしまいましたが