標本箱

その時おもったこと、かんじたことを少しでも形に残せたら。

ファンってなんだ



今年も推しは忙しそうで何より。
身体を大事にしながらのびのび好きなようにやって欲しいです。









推しが忙しいということはファンも忙しいということでバタバタした生活を送っています。
やらなきゃいけない事が溜まる一方で、そんな時に限って仕事も忙しくなりますが何とか凌いでいます。
とりあえず某中古屋にいらないグッズをまとめて売ってきたい。
部屋の管理コストを下げたいので。*1







ファンって本当になんなんでしょうね。



私は推しが役者さんになって、ちゃんとした役を貰えるようになってからのファンで。
最古参では無いし、回数も通っていないし、ただまあ推しの役者人生から見ると古い方のオタクなんですよね。



推しは今でこそ大きな作品に出させていただいて、地方なんかも行ったりしちゃって*2、相変わらずファンの規模は謎だけどまあまあ名前は売れてきた役者さんなのかなって思っています。



昔は本当に小さな箱も埋められなくて、周りの人に沢山サポートもしてもらって。
私が知らないだけで悔しい思いも悲しい思いも沢山、沢山してきて。
役者を辞めようかって思ったことはきっと一度や二度じゃなくて。
それでも真っ直ぐに頑張る推しを遠くからそっとみてきました。


全通だってしたこともない弱い1人のファンだけど、やっぱりそんな推しの努力が実っていくのを感じることが出来るのは嬉しくて。
大きな舞台の上でスポットライトを浴びる推しはこの上なく眩く美しい存在でした。
でもそんなキラキラした推しをみる度に誇らしくなると同時に寂しくなってしまって。





こんなに魅力的で素敵な人が私の推しなんだなーって何だか不思議な気持ちになるし、でもそんな気持ちになる明確な理由なんてないんですよね。


私と推しは赤の他人で。
ちゃんと会話したことなんて数年間でトータル30分も無くて。
私からお手紙を送って気持ちとか伝えたりしているけど、それを推しがどう感じているのか、そもそも読んでいるかなんて分からないし。


推しが凄いのは推しの力で、そこに私なんて欠片も関与していない。
数年間追っかけただけで、なんの関係もない私が勝手に推しのことを身内扱いというか「知っている人」として認識して、勝手に誇らしくなっているだけ。





推しのことをずっと応援してきて、推しの魅力が沢山の人に伝わってきていることはとても嬉しいのに、何か私のしてきたことって本当に応援だったのかなって疑問に思えてきて。


推しの仕事チェックして、SNS反応して、チケット買って、アンケ書いて、感想伝えて。
ただのオタクでフォロワーも少ない私なんて拡散能力もないし、チケットだって自分の分で精一杯だし数だって少ないし。
手紙やプレなんて本当はどう思っているのか分からないし。
私が推しにしてきたことは「役者である貴方が好きです」ってひたすら繰り返す行為だけど、それが直接的に推しの仕事に繋がってなんてきっと無いし。



当たり前だけど推し自身の魅力で輝かしいステージを手に入れて、それは推しの元々の魅力と努力の結果で私の応援の結果じゃないよなぁ、なんてことを思ってしまいました。



ファンからしたら推しとは一対一の関係だけど、推しからしたら一対多の関係で。
「ファン」という集団の1個体に過ぎない私の応援ってなんなんだろう。
活躍の場が増えてきた推しはきっと現在進行形でファンも増えていて。
「ファン」という集団が大きくなればなるほど、その中の私は個として薄れていく。
ただの「ファン」という顔のない存在として埋没していく。


私にとって推しを応援することは生活の軸で、アイデンティティーで。
でも推しから見たら「私」がファンである意味って無いんだよなって考えてしまう最近です。

あくまで私自身が推しのことを知りたいから、みたいから応援しているだけであって。
私が推しを推すことに、推しからどう思われるかは関係ないと分かっているのにそんなことを考えてしまうのも自己嫌悪。


推しの力になれない観客に過ぎない私が応援する意味ってなんだろう。
私が複数入るより1人のオタクがそれぞれ1回ずつ入った方が、ファンの数的にも推しは嬉しいんじゃないか。
私は自分の楽しみのために応援しているのになんでこんな気持ちになるのだろう。




おこがましいと分かっているのに、「私」の気持ちが届いて欲しいと、届いた確証が欲しいと思ってしまう。
私の思いが、私の言葉が、私がどんな気持ちで貴方を応援しているのか。
それは貴方にとって意味あることだと。
そんな分不相応な願いを持ってしまった。
推しへ求めるオタクになりたいはずじゃなかったのにな。



ここ最近こんな気持ちがずっとグルグルしていて。
推しの言葉を聞きたいなと強く思っています。
本番中は忙しいから無理だけど、推しの気持ちをファン全体への言葉でもいいから聞けたら安心するかなって。


よく追っかけていたバンドがメジャーになるとファンじゃなくなる、なんて話聞くけど。
その意味がやっと本当にわかってきた気がします。
「みんなが知らないものを知ってる私」に対する優越感とか、私は強いタイプなのでそういうことだろうなって勝手に思っていたけど本質はきっとそこじゃなくて。


ずっと追いかけてきたファンからすると「推しが遠い存在になる」って自身のファンとしての力が相対的に弱まることでもあるんですよね。
「ファンである」「ファンとして貢献している」それらは存在意義なのに、ファン自体が増えると存在意義が薄れていく。

そこで活動者自身からの肯定やそう思えるものがあれば純粋に応援を続けられるけど、メジャーになってきた時って活動者にとって1番忙しい時期で。
それまでのファンは活動者との丁寧なコミュニケーションが必要になるのに、活動者はファンと接している時間が取りづらい。
その需要と供給のギャップから昔からのファンが離れやすい時期なのかなって。



推しに自分の気持ちで要求とかしたくないし、せっかく波が来ているのだからガンガン仕事して名前売ってファンを増やして欲しい。
そう思っているし、それが営業的に何も間違ってないことも分かるのに、少しでいいから推しが今までのファンをどう思っているのか聞きたい。
「私の気持ち伝わってますか」なんて私は一生言いたくないのにうっかり言ってしまいそうで嫌だな。



推しはファンへの感謝をちゃんと言葉にしてくれるのに足りないと思ってしまう。
あんなに丁寧に伝えてくれているのに。

私はこんなにグルグルしているのに推しはきっと目の前の作品のことだけを考えていて。
それが真っ当なのに少し恨めしく思ってしまう自分が浅ましくて。
改めて私と推しは他人なんだなって思います。
私は推しからの情報は可能な限り拾い集めて、いつどんな時にどんな格好で写真を撮ったかだって思い出せるのに、推しがどんな財布を使っているのかだって写りこまないと知る術がない。


これは以前からよく考えることですが、例えば私が明日死んでも推しはそれを知ることはないんですよね。
ただお手紙が来なくなるだけ。
何百とあるイイネがひとつ減るだけ。
「最近あの人来ないなぁ」なんて少しでも思ってくれるのかな。


推しとファンって接触とかお手紙とか異性の友達や家族よりも下手したら近い距離になるのに、誰よりも遠い関係性だなって思います。
推しのプライベートなんて少しも知らないし、知る必要も無いけど、手紙でぐらいしか「貴方を」応援している証を示せないファンってなんなんだろう。
本当に推しの力になれているのかな。


キャスト先行が毎回あればいいのに。
直接口座にお金を振り込めたらいいのに。
応援をカタチにできたらいいのに。



推しは何も悪くないのに「あの頃は良かったな」なんて思ってしまう自分が嫌で。
あのイベントは大舞台に立つ前、最後に今まで応援してきたファンへの感謝だと分かっているのに*3、その気持ちを素直に受け止めて喜べない自分が嫌だ。



楽しかったはずの帰り道、そんなことを考えていたら涙が出てきて。
少し前の推しの発言を読み返してました。
そしたらこんなことが書いてあって*4

いつも応援ありがとうございます。
本当に力になっています。
これからもっと活躍して皆様に恩返ししていきます。


推しは恩返しのつもりで頑張っているのに、私はそれを喜べない。
ごめんね。本当にごめんね。
もう私は貴方のファンとしてふさわしくないのかな。



なんだかもう感情がグチャグチャなのに、推しへのプレを選んでいるのは楽しくて。
早くまた純粋に推しの活躍を喜べるファンになりたいです。







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*1:あと推し用のスペースを拡張したい

*2:遠征不慣れすぎて反省記事書かなきゃなって思っています

*3:イベントやるからそこそこ集客見込みあるのかと思ったら全然でびっくりした

*4:意訳