標本箱

その時おもったこと、かんじたことを少しでも形に残せたら。

誰かの悲しみとサプライズ


ちょっとお気持ち表明ブログ書きますが、初めに特定の個人やその方の意見を貶す意図はありません。
不快な思いをさせてしまったら私の書き方の問題です。申し訳ありません。

ただのひとりの役者オタクが、今回の件と関連する様々な意見を見聞きし、もしも自分の推しだったらという妄想の元、自分の気持ちを整理するだけの内容です。
部外者の勝手な意見なので、そういった意味でも不快な思いをさせてしまったら申し訳ないです。











某作品でサプライズ登場のキャラが居て、ネタバレ厳禁のルールもあり役者名は伏せられたまま公演を終えたそうですね。



割と初めの方でそういった演出があるというのは知ったのですが、推しじゃない*1って分かっていなかったら死ぬほど怖くて不安でたまらなかったと思います。
さらに終盤でのキャラ変更に伴う第二の出演キャスト追加。
これを知った時はオタクの方々の気持ちを考えるとやるせない気持ちでいっぱいでした。*2
役者オタクの一人として今回の件は許せないし、許してはいけないと思います。
私自身がそういう目に会いたくないので。




そうは言うものの、演出としてはアリだと思いました。
舞台を観に行って全く告知されていない役が出てきたらびっくりするし、その衝撃って中々味わえるものでは無いと思います。
表現は常に挑戦し続けるべきですし、その成功と失敗がより良い作品の糧となります。







でも誰かを悲しませる表現は避けるべきだとも思うんです。
特に今回のような祝福されるべき場で、一番祝福したかったであろう人達が悲しい思いをするようなやり方は。


大きな作品です。
出演するってとても名誉な事だと思うんです。
なのに役者さんが、今までを応援してきてくれたファンを失いかねないことをさせてはいけないと思うんです。







今回の件で文句を言うのは役者オタクであって、舞台を役者を観るための道具としてしか捉えてないといった雰囲気の*3意見を見ました。


それの何がいけないんでしょう。


私は役者オタクで、役者さんの演技を観に舞台へ行きます。
いわゆる「推し」がいればどこでも行きます。
全て全通できるほど強いオタクでは無いですが、多ステもするしアフタートークのゲストとか、正直推し目当てでは金銭と労力に見合ってない内容でも行きます。


反対に推しがいない作品にはほとんど行きません。
推しを通じて沢山の魅力的な役者さんや作品を知りましたし、知り合ったお友達から沢山の楽しそうな現場の話を聞きます。
行ってみたいなーって作品もありますが、自分から行くのは年に1本あるかどうか。
私は典型的な役者オタクで、舞台オタクではない人間だなってよく思います。





役者オタクの私から見た舞台とはどういった存在か。
それは料理で言うと皿であり、まさしく舞台装置であり、役者さん自身をより魅力的に見せてくれるための服のような存在です。




私は役者さんの仕事ぶりを信頼しているから舞台に通います。
初々しくも真っ直ぐに役と向き合う真面目さに惹かれ、観る度に違った姿を見せてくれる成長力に目が離せなくなり、作品を通して新しい世界と感情を教えてくれる「その人」を信頼してチケットを買います。



観劇って本当に博打だと思うんです。
1万近くするチケット、それも2時間程度で終わってしまうコスパの悪いチケット*4
それを数ヶ月前から予定空けて抽選申し込んで、でも面白いかどうかは見てみるまで分からない。
どんだけ有名な演出家さんや脚本家さんが関わっていても、実力のある役者さんが出演していても、人気作品が原作でも、皆が面白いって言っていても。
自分が見てみないと肌に合うかどうかって分からないものです。

信頼していると書きましたが、推しがいたってつまらない作品はもちろんあります。
ただどんなに肌に合わなくて、面白くない作品でも、推しの演技に関しては絶対に楽しめる・得るものがある、そう思えるから私はチケットを買いますし、実際にそうだった、の積み重ねが推しへの信頼として今あります。
だからどんな作品でも推しがいれば見に行きます。



私は作品を通して推しのことを知ります。
どう役と向き合うのか、どんな風に考えたのか、感じたことをどう表現するのか.......。
与えられた世界と役の中で推しがどう生きるのか、それを楽しみに舞台を見ます。
この見方は間違っているのでしょうか。


舞台という世界を楽しむのか、そこに生きる役や役者自身を楽しむのか*5
舞台の楽しみ方ってそれだけじゃなくて、照明・音・美術・衣装・メイク、あげだしたらきりがありません。
多くの制作スタッフの方々が一丸となって作り上げた世界で、そこで精一杯生きる推しの姿が見たくてチケットを買うんです。
そして役者オタクが役者さんを見に行くように、上記の様々な観点のオタクの方が同じようにチケットを買うんです。
チケットを買って舞台を壊さないよう楽しんで、観客は等しく平等です。





だからこそ誰かが悲しむような演出は避けた方がいいんじゃないかって思います。
色んな価値観の人が同じ作品を見て、それぞれの幸せな気持ちを抱けたら素敵なのに。



私は自分の推しが知らないうちに大舞台に出ていたらびっくりするし、おめでとうより先に「なんで」って思ってしまうと思います。


推しのことを信頼していつもチケットを買って。
もっとたくさん見たいから、アンケート書いたりコメントしたり名義付きでチケット買ったり感想伝えたり、お金と時間をかけて。
大好きな推しだから見れる限り見たいし、推しの心に残る体験は同じ場にいたい。
それは究極のエゴイズムだけど、許される範囲でならばきっと愛とイコールで。



推しを第一優先で行動してきたのに、あんなに大きな作品に出るのを知らずに後から知るなんて苦痛でしかない。
もっとアンテナ張っておけばよかった、興味なくても見に行けばよかったとか、そんなたらればの後悔を繰り返してしまいそうで。



誰かが悪いわけじゃないけれど、その場に呼ばれなかったってことは役者オタクである私は要らないのかなって。
そんなことを考えてしまいそうで。
ファンであることは自己満足だけど、私自身の好きな気持ちを否定されたら悲しいです。
当たり前だけど。



誰だって大切な人の晴れの場は一緒にお祝いしたいと思います。
親が子の卒業を祝うように、恋人が誕生日を祝うように、友人の幸せを祝うように。
オタクと役者さんは一方的な関係で、向こうが私たちのことをどう思ってるのか、思うことがあるのかすら分からないけれど、でも私にとっての推しは誰よりも大切な人です。
プライベートならともかく、公式のお仕事の場なのに推しがいることすら知らずに除け者にされたら悲しい。
幸せの象徴である推しに対して悲しい気持ちが結びついてしまう。




事実として役者とファンは切っても切り離せない関係で。
ファンは役者さんがいないと応援できないし、役者さんもファンがいないと続けられない。
そういう関係にあるにもかかわらず、ファンを蔑ろにするような仕事のさせ方は好きじゃありません*6





色々書きましたが、これは全部役者オタク以外も関係があると思っています。
今回キャラクターのファンの方だって同じ思いをした人が絶対にいると思うし、立場が変わればそれは作品ファンだったかもしれない。

原作ありとかなしとか関係なく、役者さん以外にも本当にたくさんの人と作品が力を合わせて舞台はできています。
そしてそれぞれにファンの人がいます。
その誰かが蔑ろにされたような気持ちになったり、悲しんだりする方向性は違うんじゃないかなって。
そんなことを思ったのでした。












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*1:絶対に公演に出れない期間だった

*2:1人目の方を観に行ったオタクも、追加でサプライズ出演された方のオタクもどちらの気持ちを考えても.......

*3:意訳です

*4:夢の国は同じ値段で1日遊べるので凄い

*5:ストーリー優位とキャラクター優位

*6:重ねてですが誰が悪いって話でもないと思っています