「気持ち」の押しつけ
文具コーナーをさまよう毎日です。
これだけ沢山の舞台があって、沢山の役者がいて、それに群がるオタクがいるのに世の中にはレターセットを取り扱っている場所が少なすぎませんか?
次の舞台に向けていいのを探しているんですが中々見つからず……。
そもそも、もっと色んな場所にレターセットが置いてあるといいなぁって思っていたり。
毎回LOFTやハンズだと偏るんですよね。
推しを生で観れない期間が長くなってくると取り憑かれたかのようにレターセットを買い漁ってしまいます。
最近はお花送れる作品少ないし、プレも貢ぐタイプではないので*1、推しに何かをあげたい=お手紙、になってしまうんですよね。
お手紙、基本的に場所取らないし重くないし金銭的にも渡して(双方)負担にならないし、要らなかったら燃やせば消えるし最高ですよね。*2
こっちの気持ちを書きたいだけ書いて、渡した後は向こうの気持ちでなんとでもなるし……。
読んでなくてもこちら側から判断しようがない所が良い。
プレも要らなかったら換金してとか思うけど、うちの推しはそういうことに凄い罪悪感抱いてしまいそう。
あと単純に横流しするのも手間かなぁとも。
いやでもあげたい時は勝手にあげるし、趣味やサイズとか諸々合う合わないは当然あると思うので、その場合は潔く金にして欲しい。
そしてそのお金でたい焼きでも買ってくれたらオタクは嬉しいです……。
基本身につけるものなら写真で受け取り報告してくれる推しだけど、ちょっと不安になりながら贈った物が時期の悪さもあったのか本当に写らなくて病んでいたのは懐かしい思い出。*3
手紙は大事にしてくれてそうな推しだけど、プレは定期的に処分してそう。
最後に少しでもお金になって推しの幸せになっていたらいいなぁ。
あくまで「気持ち」なので。
プレゼントボックスに入れた瞬間から煮るなり焼くなり好きにしてって気持ちです。
話が逸れてきました。
現場が無い期間、やたらレターセット買いたくなるのは「なにか人にしてあげたい」っていう気持ちの現れなのかなって。
お手紙もお花もプレも「その人」を想って用意するもので。
準備している時ってとっても幸せですよね。
贈り物って凄く意地悪な言い方すると究極のエゴイズムだと思うんです。
特にオタクと役者さんのような赤の他人同然の距離感で、勝手にオタクが想像して準備したものなんて受け取り手が本当に喜んでいるのかなんて分からないし。
他人をダシにした自己陶酔的行為というか。
「してあげた」という気持ちよさはやっぱり強いと思うんですよね。
多少無理してでも現場通ったり、そういう応援もきっと同じで。
現場が無い期間はその快感を得られないからレターセット選んだりすることで間接的に味わっているのかなって思いました。
好意の押し付け、なんて言い方もできてしまうこの行為は役者とオタクという絶妙な関係性だからこそ成り立っているのかもしれません。
色々書いてしまったけどお手紙もプレもお花も否定するつもりはありません。
とても楽しい行為だし、私も好きです。
ただ1歩間違えれば迷惑になってしまう行為でもあって、いつも有難く受け取ってくれる推しに感謝しています。
贈りたい気持ちは抑えられないから、少しでも喜んで貰えるといいなぁ。